Appearance

何事にも適量がある世界。。。
最近読んでいるガボール・マテさんの「The Myth of Normal」(普通という神話)という本の中でショックを受けた言葉がありました。
マテさんはこう言っています。
人から「そんなに〇〇になるな」と言われるのは、言い換えると「そんなに自分らしくなるな」と言われるのと同じことだ、と。
今までそんな言葉を何度もかけられてきました。
そして、言われて見れば自分のままでいちゃいけないと言われているのと同じ意味だということも頭では理解ができます。
しかし、そのことに気づかずに、今まで何度もその言葉を聞いてきて、特に昔は鵜呑みにしていたと思うととてもゾッとします。
自分にかけられた言葉の中には確かに、よかれと思って言ってくれたものもあるでしょう。
でも、その時の自分の状態以外の状態になった方がいいと言われるのは、確かに自分のままでいてはいけないメッセージとして受けとっていたのです。
自分が自分であることを尊重したいので、生まれてから今まで間接的に、自分のままでいてはいけないと言われた回数を想像すると悲しくなります。
この話につながるマーシャルの話があります。
ジャッカル語を喋る人たちは何事にも適量があるというのです。
そして、自分自身がそのちょうどいい量をわかっている、と。
例えば、この世にはちょうどいい音量というものがあるし、その適切な音量を自分は知っている。
なので、自分が知っている適切な音量より声が小さければ、「あなたは声が小さすぎる」になるし、それよれも声が大きければ「あなたは声が大きすぎる」になる。
本当は喋ってる人の好みよりも、声が「大きい」か「小さい」かの判断であるはずなのに、絶対的に大きいか小さいかのように言われてしまう。
しかも、適切な音量でないこと自体が悪いとされます。
自分自身が自分のままでいちゃいけないと言われることは自分にとってもとても辛い体験です
なので、相手は相手のままで大丈夫だよ、と伝えたい思いが自分のNVCを学ぶ原動力の一つになっています。
「自分らしくしてはいけない」と言われたことはありますか?
これを読んでどう感じますか?
ーーーーーー
「そんなに敏感になるな」と、人々はよく言われます。言い換えれば、「そんなに自分らしくなるな(Don't be so yourself)」”ということです。
ガボール・マテ ”The Myth of Normal(普通という神話)” p.249より
ね、ジャッカル語を喋る人たちはこういうふうに考えてるんです。彼らは本当に、何事にも適量があると考えるように育てらています。多すぎるうことや、少なすぎるというものがあると思っていて、その適量が何なのかをわかっているのは自分だと思っているんです。
NVC Marshall Rosenberg - San Francisco Workshop 24:08より
2023/6/18 No.350から