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自分のお祝いを丁寧に扱う(その2)

自分のお祝いを丁寧に扱う(その2)

昔こんな話を聞いたことがありました。

ある人のところに6歳の姪っ子さんがやってきて、こう言ったそうです。

「ねぇ、聞いて聞いて!縄跳びができたの!」

こんなに喜んで報告したのでさぞかしたくさんできたのかと思いその人は聞きました。

「へぇ、すごい!何回飛んだの?」

すると姪っ子さんはおっきな笑みを浮かべながら、指を二本出して「2回!」と得意そうに答えました。

前回書いたお祝いについて考えた時に思い出したお話です。

その6歳の姪っ子さんは縄跳びが2回をべたことが大きなお祝いだったに違いないと想像するのです。

それは、他の誰かと比べたのではなく、人生で初めてチャレンジして何かを達成した喜びを受け取ったと想像します。

自分自身も、日常の出来事をそれくらい喜ぶ選択肢を持ってもいい、と思ったのです。

しかし、そんな些細なことでお祝いをしたら周りの人たちにどう思われるのかが気になって、口に出して言うことはしません。

自分の中でさえ、これくらいのことでは喜んではいけないと自制することがあります。

自分が喜ぶ力を取り戻したい、そういう願いが自分のお祝いを丁寧に扱うというテーマの奥にあります。

自分の中でお祝いを妨げるような何かに気づくことはありますか?

これを読んでどんな感じがしますか?

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だから、頭の中に "べき"があって、間違ったことをするのを恐れ、他の人にどう思われるかを気にしていたら、どうやって人生をお祝いできるのだろうか。例えば、「知的であること」が重要だと考えている人は、どうやって人生を楽しむことができるのでしょうか?自分の発言や考えや行動が、頭悪いのではないか、そんなことを気にしながら過ごす時間が多くなるのです。たったひとつ、そのような評価を自分の内側に持っているだけで、人生を楽しむことはできません。しかし、教育を受けたら、そのような判断力を与えてくれるわけではありません。教育を受けると、彼らは山のように評価がもらえます。もし、私が頭が悪いだけでなく、異常だとしたら?もし自分が神経質だったら、多動だったら、醜いとしたら......。

”Giraffe Fuel for LIfe (命のためのキリンの燃料)” 40:32より


2023/6/22 No.354から

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